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- 2016/07/20 掲載
インドはなぜ世界的な「頭脳立地」になれたのか 篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(76)
インドのIT産業がグローバル展開したのはいつか
まず、インドのIT産業がいつ頃からグローバル展開したかを解説しよう。連載の第70回でも述べたように、インドがITで世界的に注目される始めたのは1990年代のことだ。貿易自由化などの経済改革と米国発のニュー・エコノミー(連載の第19回と第20回を参照)がうまくシンクロナイズしてオフショアリングが勃興した(連載の第70回と第71回参照)。
だが、その源流をさらに遡ると、インドのIT産業は、先進国でコンピュータの商業利用が開始されたばかりの1970年代から、既にグローバルなビジネスを始めていたようだ。
国境を超えた人材供給の歴史は情報化の草創期から
当時のコンピュータは、大型のメインフレーム機で、IBMに続く開発・製造企業の1社に米国バロウ社(Burroughs Corporation)があった。インド最大手のITサービス企業Tata Consultancy Services, Ltd.(TCS)は、タタ財閥の持ち株会社Tata Sons Ltd.の事業部門として1968年に創設された。当時はバロウ社の販売・保守代理店業務などを行っていたが、同社の要請に応じて、1974年にはインド人プログラマーを米国に派遣している(小島[2010])。
パンチ入力など人手のかかる業務で、国境を越えて人材派遣を行っていたのだ。TCSで聞き取り調査を行った際は、Vish Iyer副社長が当時を振り返り、「英語ができるインド人は、英米向けの人材派遣で有利な立場にあった」と回顧した。
オフショアリングの遥か以前、先進国でようやくコンピュータの商業利用が始まった頃から、いわば出稼ぎ労働の形で、世界に人材を供給してきたのがインドのIT産業だ。グローバルなビジネス展開の歴史は、情報化の草創期に幕を開けていたといえる。
なぜバンガロールにIT産業が集積したのか?
インドIT産業の中心地といえば、カルナタカ州のバンガロールが有名だ。インドのシリコンバレーと称されることもある。周知のとおり、本場米国のシリコンバレーでは、スタンフォード大学を核とする頭脳の集積が発展の原動力となった。では、バンガロールの場合はどうだろうか?この点について、前回も登場したICSTのRaja Seevan氏とカルナタカ州政府のChief Minister AdvisorであるPrabhakar氏に尋ねてみた。
彼らによると、バンガロールでIT産業が発展してきた背景には、時代の趨勢を読み取った州政府の優遇政策に加えて、ふたつの立地特性が作用しているようだ。それが「地政学的要因」と「気候要因」だ。
独立直後からの地政学的要因
まず、地政学的な要因について説明しよう。インド南部に位置するバンガロールは、パキスタンや中国といったインドと緊張関係のある国々から地理的に離れている。それ故、インドが独立した1947年当時の国際情勢に鑑みて、国防関連の施設を整備する際に有力な拠点地域となったのだ。こうした背景から、バンガロールには航空産業、宇宙産業、重化学工業など、さまざまな分野の研究開発拠点が整備されてきた。1972年にはインド宇宙研究機構がバンガロールに設置され、国立航空宇宙研究所をはじめとして、軍用機製造のヒンドスターン航空機や軍事用精密機器製造のバーラト重電といった有力民間企業の立地も進んだ。
これらの企業は、製造業の中でも、とりわけR&Dを重視する知識集約企業の典型だ。したがって、臨海工業地帯型の産業集積というよりも、頭脳立地の性格が強く、ハイテク企業を引き付けるような産業の集積基盤が形成されてきた。
【次ページ】バンガロールが頭脳立地なのは「気候要因」にある
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